生い立ち。

ととくんは、

普通に、普通に、産まれました。

35週で、3400g、安産。

なんにも、気にせず

なんにも、気付かず、

育ててました。

 

でも、母が1度だけ、

『目が合わない』と、いったことがあった。

だけど、わたしにはそんなことがなくて、

気にしてなかった。

 

離乳食も、

進まなかった。

それも、

『長男のときもこんなんだった』

と、思っていた。

 

1歳をすぎ、まだ、歩かなかったけど、

それも、長男のときもそうだった、と、

気にしてなかった。

 

そして、

1歳半健診。

まだ単語がでてなかった。

でも、まだ、大丈夫やろ。

と、思っていた。

 

そして1年後、

まだ話さない。

 

区役所の福祉課の人に、言われる。

『1度検査してみましょう』

 

子供センターの発達検査→発達遅滞

で、

療育手帳や、通所の受給者証の手続きなど

あれよあれよと、進んでった。

 

発達遅滞

とゆう結果がでたとき

真っ白になった。

 

ちょっと待って。ちょっと待って。

落ち着け。落ち着くまでそっとしといて。

 

私はかなり動揺してた。

一言でゆうなら、『パニック』だ。

『と、とりあえず、ちょっと時間ちょうだい』

そう思うしか出来なかった。

それなのに、

いろんな手続きが、あっとゆうまに終わったのは、旦那が指示したから。

 

実は、私は、旦那が怖い。

 

でも、

障害児とわかり、これから育てることを

思うと、とてもじゃないけど

旦那の顔色をうかがいながらのキャパは

わたしにはない。と、はっきり分かった。

だから、

『子供のことは私がするので、これからは指図するのをやめてください』

と、旦那に伝えました。

 

そんなわけで、

旦那はいるが、

一人で障害と向き合うことになりました。

 

 

 

 

 

 

 

今は。

今は6歳。

年長さんにあたる。

が、通園はしていない。

 

息子は、ととくん。

(と、書かせてください。)

 

ととくんは、

まだ、喋りません。

単語すら、でません。

しいていえば、

『バイバイ』くらい。

それも、

言葉の理解がないから、

場面に合った『バイバイ』は、

なかなかありません。

 

言葉がでないまま、年齢があがると、

検査の数値は、下がる。

だから、

ととくん、どんどん下がって、

 

3歳でB2

5歳でB1

で、今回の数値が、Aの範囲に入ってました。

次の手帳の更新では、

Aになると思います。

Aて、重度。

 

言葉がでるかどうかは、6歳で判断

と、

はじめにきいていたから、

6歳になるのが、怖かった。

 

でも、

もう、会話できない、こと、

覚悟しないと。

 

『今日なに食べたい?』

とか、

話したかった。

そんな小さな望みも、叶わない。

 

 

と、思うけど、

喋らないことで、1番困るのが、

病気。

 

どこがどう痛いのか

 

これ、わからないのって、ほんとに辛いです。

 

 

 

はや3年

息子が自閉症と診断され、

はや3年が経った。

ただいま、6歳。

 

いま、思うと、

辛いことが、いっぱいあった。

自分のせいだと、

やっぱりどこか思っていて、

だから、

気持ちを誰かに話すことが

なくなってきた。

辛い、と思うことも、

私が産んだ子だから、辛いのは仕方ない。

小さな成長に、

嬉しくなったときも、

普通からしてみれば、

 

まだその程度か。

 

と、思われるだろうと。

どんな小さな、些細な、何気ない、

悪意のない言葉でも

はねのける気力がない。

 

だから、

自分の本音は、自分の中におさめてきた。

 

でも、

やっぱり、苦しい。

だから、ちょっとずつ、

書いて、楽になって、

前向きに、育てていきたい、と、思う。