さらなる、問題行動

前回の衝撃的な問題行動の最中

さらにもう一発やってきました。

 

突然

食べ物を食べなくなったのです。

 

今もそうなんですが、

ととくんはかなりの偏食で、

食べられる物が数えるほどしかない。

 

お菓子は、何種類も食べるのですが

食事の類は、

『そんだけでいつまで元気でいられるんだろうか』

と不安になるほど、限られている。

今でゆうと、

冷凍ポテト(オレアイダの)とマクドのナゲット。

シュガーバタートースト(もちろん、ミミは食べません)

のみ...

その前は、唐揚げ。とマクドのナゲット。

のみ。

この唐揚げ、粉が決まっている。

その昔は、

素うどん、味噌汁

冷凍やきおにぎり(小さいやつ、限定)、

なども食べた期間も一瞬あった。

ヨーグルトとオイルパスタは、

奇跡的に食べた時代もあった。

あと、

チキンラーメンをそのまんまバリバリ食べたこともあった。

これはかなりお気に召したようだった。

すべての期間、一番大好きなのは

ケンタッキーのクリスピーだ。

4本食べる。

しかし、

いまでも、冷めたものは食べませんスタイルを貫いていらっしゃって、

 

電子レンジ?は?なにゆうてんの?

 

的な感じで、レンジで温めたものは、見向きもしません。

 

いつも、食べ物の温度を確かめるべく

手の甲で触る。

手の甲、とゆうとこは、

なかなかお上品に見えるのだけど、

ととくんの合格ラインの温度じゃなければ

素通り。

毎回、食事は、タイミングが命で

なかなか苦労している。

 

そんな超偏食のととくんが、

突然なにも口にしなくなりました。

水分だけ。

当時、ヤクルトがマイブームだったので、

ヤクルトを1日20本ほど飲み、

食べものは、一切食べない。

とゆう日々が続きました。

 

なんで?

なんで食べへん?

 

1週間過ぎ、、10日すぎ、、

どんどん焦ってきた私は

小児科へ。

丁度ロタが流行っていたので、

先生は、『病気』とゆう見立てしかせず

ふにおちないまま帰る。

 

ロタじゃないのに、、

自閉症からきてると思うのに、、

 

そう思いながら、

医者が理解してくれないことに

悶々としていた。

おっきな病院のかかりつけ医にも

電話したけど、

ヤクルト飲んでるならまぁ大丈夫。

水分量だけ確保して、様子見て。

と、だけ。

いろんな人に話をしたり

ネットで調べたりしたけど、

原因がわからない。

解決策もわからない。

 

その後も食べない日々が続き、

3週間経った頃、

ヤクルト、飲まなくなりました。

お水だけ、少し飲む。

そしたら、

みるみるうちに、衰弱していった。

もうあかん!と不安爆発。

自閉症と診断した先生に頼んでみようと

電話をかけた。

 

先生は優しく聞いてくれた。

私は一生懸命状況を話し

泣きながら訴えました。

開業医ではない、おっきな府立の病院の先生は、なかなか急な申し出には対応してくれないのに、

この担当医の先生は、違いました。

 

『大丈夫ですよ、お母さん。

今の時代は、食べずに急に死んでしまうことはないから。その前に対応できますから。

大丈夫ですよ』

 

この言葉に、

本当に!救われた。

3週間も食べないなんて、、

急に死んでしまったら、どうしよう、、

と、ずっと怖かった。

その気持ちが、やっと、届いた。

大丈夫。って、いってくれて、、

誰か分かって!

だれか助けて!

と思っていた気持ちが解放しました。

もう言葉にはできない、

 

『ありがとうー!(๑o̴̶̷᷄﹏o̴̶̷̥᷅๑)』

みたいな感じでした(笑)

 

先生は、

 

『明日連れてきて。入院したほうがいいかもしれない』

と、言いました。

 

先生に分かってもらえたこと、

いざとなったら、頼れる医者がいること、

で、不安が消えて、腹が座った。

 

『何があっても、死なせない』

 

先生に電話をした夜

ホッとして、疲れがドバーっとでて、

晩御飯、ケンタッキーでいいか。

と、宅配を注文。

 

ピンポーン、

ケンタッキーが届く。

支払いをしている間

ととくん

玄関に置かれたケンタッキーの周りをうろうろしていた。

 

ん?

反応がすごいな...

 

 

テーブルにおいて、

ケンタッキーの蓋を開け

クリスピーを見て、

 

食べたい...

どうしよ...

食べよかな...

 

と思ってるのが、見てわかるような動きも

束の間

急に、ばっくばく、食べはじめた!

 

3週間分食べるで~

みたいな様子で、

次々手に取り夢中で食べている。

 

私は

言葉が出なかった。

 

よかった!

よかった!

よかった!

食べた!

食べた!

食べたでー!

 

あんなに、ホッとしたことが、

今まで生きてきて

あったやろうか。

なにもできないまま

死なせてしまうかもしれないとゆう気持ちに

追いつめられてたから

食べてる姿を見ながら

涙がとまりませんでした。

 

結果

ととくん、4人分のケンタッキー

完食。

 

 

 

翌日、先生に、報告。

『よかったですねぇ!』

一緒に喜んでくれた。

 

この先生は、信用できる。

 

私は初めて

信頼できる医者を見つけた気がしました。

 

どうして、食べなくなったのか

先生曰く

 

『わからない。

原因はわからないけど、

自閉症の子は、すごく親孝行やから。

考えられるとしたら、

もしかしたら、

ウンチを触って、お母さんが困ってる様子を見て、

食べたらウンチがでる。

とゆうふうに考えて、食べなくなったのかもしれないね。』

と。

 

 

なんとも言えない結末...

まじか...

それ、あたしのせい?

 

とりあえず

そんな気持ちに蓋をして、

食べてくれることに感謝しながら

過ごすようになりました。

 

いろんな問題行動はあるけど、

便コネと、3週間の食事の拒否、

これはもう、健常児にはないこと。

 

あぁ、やっぱり自閉症なんやね。

これが自閉症なんやね。

もしかしたら、

いつまでもくよくよしてるわたしに、

『はよ腹くくれ』と、

ととくんは、体をはって伝えてくれたのかもしれない。

 

 

こうして、

やっと、

自閉症を、受け入れることが

できました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

びっくりな問題行動

3歳の夏前くらい

それは始まった。

 

かなり汚い話なので自己判断お願いします。

 

 

さて。汚い話のはじまりです。

 

なんと!

ととくん、

 

『ウンチ』

 

を触るようになったのです...(┯_┯)

『便コネ』とゆうやつです。

手につけたまま、わたしに、見せにきます。

これ、

かなり衝撃!

ほんま、びっくりします!

最初は、『え?』と思って、

フリーズしてしまいます。

その時のわたしの顔は、

たぶん、例えようのない顔だと思います。

それを、見たととくん、逆切れです。

手にウンチをつけたまま、暴れだします。

そこで、我に返った私は無理やり手を引っ張りながら洗面所にかけこむわけです。

ひたすら無言で洗い続けます。

無言とゆうか、

なにも言葉が出てこないのです。

それから、ととくんは、

私が見ていないとき、寝ているときなんかに、やるようになりました。

なにやら、強烈な臭いで、目が覚め、

絶句。

目の前に、ウンチの手が!

見渡せば、布団や壁にもすりつけた形跡が...

 

無表情無言で、ととくんを担ぎ

風呂場にいれて

シーツを片付け、壁を拭いて、、必死。

そして、風呂場に行くと

今度は風呂場中に、ウンチが!

しかも、

風呂場に放置していて、暇だったせいか

口元にもついている...

 

まさか、まさか、きみは、、食べたのかい?

 (°口°๑)

 

手を何回も洗い

着替えさせ、

服を何回も洗って、

壁も床も拭いて、

お風呂も掃除、

シーツの洗濯、、、、、

これを1日に何度繰り返したか。

何ヶ月続いたか。

 

この日々から、

『あぁ、やっぱり普通じゃないんや』

と、しっかり自分の中で納得できたのです。

 

私は実体験でやっと、

ととくんの障害を受け入れることができたけど、それは、とても、やるせなかった。

 

ここまで思い知らないと

分かってやれなかったことを

いまは、ごめんね、って思います。

 

ととくんは、きっと、

密かにでも健常児に追いつきたいと思う私から、窮屈な思いとか、

感じてたと思うから。

 

 

 

 

捨てきれない思い

自閉症と診断を受けた3歳。

当時、友達に教えて貰ったデイを1つ

利用しているだけだった。

そこは家から車で40分程かかる。

言語聴覚士のリハビリ

が受けられるデイだった。

1対1のリハビリが30分程、そのあとは

保育とゆう内容。

 

家から40分。まぁまぁ遠い。

この時間は、ずっと、くよくよしていた。

『まだいつかみんなに追いつく』

とゆう思いが、自閉症だと診断されて以来

口に出して言えなくなってきていた。

ととくんをみれば

普通ではないことがわかる。

喋らないし、奇声もある。

福祉の人や専門の人から見れば

将来的にどの程度までの成長しか見込めないこともわかる。

だから、

『追いつきたい』と言うと

みんな応えようのない顔をした。

それでも、

自分の中では、整理がつかない。

 

いま、喋らないけど、

急に喋り出すかもしれない。

 

その思いは、なくならず、

でも、誰にも言えず、

ただ不安で、辛くて、

どうしたら成長するのか

何もわからない

どうしたらいいのか

わからない

なんで、こんなことになったんやろう

わたしのなにが悪かったんやろう

 

2年間くらいは、

ずっとこんな感じで、

立ち止まってました。

自分でわかるほど、

立ち止まってました。

嫌になるほど、一人で泣きました。

全然前に進めなかった。

 

いま、思うと、たぶん、それは、

『障害を受け入れる』

とゆうことが出来てなかったんやろうなぁ

と思います。

 

障害を受け入れてください。

と、

まず、言われるけど

それがどうゆうことなのか

どう考えればできるのか

わたしにはなかなかわからなかった。

でも

それができたのは、

ととくんの問題行動が続いたからでした。

 

光とともに。

自閉症

と診断されてからは、

ネットで朝まで調べる日が続いた。

旦那は何冊か本を買ってきてくれた。

 

1番残ってるのが、

代表作といえる『光とともに』。

旦那が買ってきてくれたのは、マンガのタイプで全10冊。

普段本を読みなれていないわたしには

マンガはとても良かった。

でも、

当事者として読むには、

衝撃的な内容が多く、

『いつかわたしもこうなるんや...』

と思うと、

なかなか読み進めることができなかった。 

何ヶ月かかかって

読み終わったけど、

『なんともいえん』とゆう感じ。

悲しすぎる

辛すぎる

でも、

なんとなく、

自分のこれからを理解できた。

記憶に残った1つに

お葬式のシーンがある。

場をわきまえない振る舞いなどをする

ので、参加するな、とゆう場面だ。

それを、最近思い出した。

とゆうのは、

ととくん、急に笑い出すことがよくあるのだ。

笑い出したら、止まらない。

それも、本当に楽しそうな笑い方。

かんしゃくを起こしたときも、

急に笑い出すことがある。そしてまたかんしゃく。みたいな、、

それは、

止めることができない。

とにかく、どこであろうと、

それがおこる。

そのとき、光くんのお葬式の場面を思い出したのだ。

 

けらけら笑うととくんも

お葬式には連れていけない。(。-_-。)

 

着実に

光とともに。と同じ道を歩んでいるなぁ

と思う今日この頃。

 

ちなみに、

結婚式も同様で、全て参加はしていない。

やはり、

じっと座っていることも

黙っていることも

不可能で、

周りに迷惑をかけるから。

そして、

無理に参加して、

ダメダメゆうてたら、

ととくんが、嫌な思いをする。

私も疲れる。

だから、参加はしない。

 

何でも経験させて、理解できるチャンスを与えないとずっと出来ないままだとゆうのは

分かってはいるが、

時と場合によるわな。

と、自分で納得している。

 

光とともに。

は、途中で終わっている。

光くんの成人まで、せめて、書いて欲しかったと、本当に思う。

 

 

自閉症です。

実は

まだまだ、希望を持っていた。

『きっともうすぐみんなに追いつく』

そう、密かに、思っていた。

 

かかりつけの小児科の先生の紹介で

おっきな専門の病院で検査を受けた。

 

ほんとは、

子供一人で受けないといけないらしいが

母子分離が無理なととくんなので、

私も同席させてもらえた。

絵カードや積み木、会話、指示、運動...

 

今も思うけど、

この発達検査の時って、

現実をつきつけられる気がする。

 

『コップはどれ?』

ととくん、無視。

『先生と同じようにしてね』

ととくん、完全に無視。

『赤は、どれ?』

ととくん、席を立つ。

 

こんな感じで、

あー、、コップ、わからんねや。

あー、、赤も、しらんのかぁ。

とゆうふうに。

 

健常児なら、

教えなくても身についていくことが

ととくんには、ない。

1つ1つ教えていかないと、わからない。

1つ教えるのに、何回どころか、何十回、

100回レベルちゃうか、、

繰り返し繰り返し教えないと、

入らない。

先日、

『例えば犬。柴犬を犬だと分かっても、マルチーズが犬だとはわからない。1つ1つ教えていくしかない。』

と、言語聴覚士さんに、言われた。

その時も、

ちょっとした衝撃だった。

柴犬はわかっても、マルチーズがわからない。

ちょっとわたしには理解が難しい。

じゃあ、ととくんには、

マルチーズは、なんだと思っているんだろう。

 

私はまだまだ、自閉症児の頭の中が、

理解できてなくて、

ぴんとこないことがたくさんある。

 

それにしても、

犬を見るたび『これは犬よ』と

言わないといけない。

それを何回繰り返すんだろう。

犬だけではない。

名前がつくもの、全てだ。

ほんとに、考えただけで

途方に暮れる。

 

でも、

私がやらないと、、

 

 

発達検査の結果

先生は

自閉症です。自閉症は、治りません。』

一発目にそう言った。

 

目の前が、真っ白

 

を、初めて経験した。

先生は、続けて、説明しているが、

声がどんどん聞こえなくなってきた。

『え...』

と思ってから、頭の中が、真っ白になった。

しばらくして、

我に返ると次は

 

走馬灯のように

 

を、初体験。

 

次から次へと、

ばぁーっと、画像が早送りで、

頭の中を流れてきた。

 

養護学校、奇声、暴力、独身、老後は施設、、

当時知りうるいろんな障害者のよくないことだけが、頭の中を猛スピードで

駆け巡った。

震えてきた。

涙も流れて

生気がぬけた。

ほとんど、先生の話は、覚えていない。

 

あの時私はどんな顔をしてたんやろう。

 

帰り道

運転しながら、

 

わたしのせいや

わたしのせいや

旦那になんていったら、いいんやろう。

また怒鳴られる。

もう終わりや。

もう無理や。

 

こんな時でも、

旦那に怒鳴られることが頭に浮かぶのか

もう末期や、と、思いながら

高速道路に入り

 

このまま、壁に向かってつっこもうか。

二人で死のう。

 

と、

よぎる。

 

でもわたしには、大事な大事な長男がいる。

私がいなくなったら

長男はどうなるんや。

 

我に返り、

なんとか家に着いた。

 

旦那には、ラインを送った。

すぐ電話が入った。

びびりながら、なんとか、伝えた。

 

『あ~...そうか...まぁ、帰ったら詳しく聞かせて』

 

拍子抜けした。

 

『すみませんでした。私が産んだから...』

 

『なんで謝んねん。意味わからんわ』

 

怒鳴られなかったことに、

ホッとしたら、

少し腹も座ってきて、

自閉症について、スマホで、調べまくった。

 

ととくん、

3歳になったばかりの出来事でした。

 

 

 

 

 

 

 

友達、おった!

障害児ママ友、いた!

 

考えたら、障害児をもつママ友が、いた。

隣の市に住む学生の時の友達

違う区に住む地元の友達

二従姉妹

長男時代のママ友。

 

でも、

これまで、詳しく聞いたりしてないし

わが子がこうなったから、といって

あれやこれや、て、聞にくい。

しかも、

みんなそれぞれ症状が違うわけやし。

 

とりあえず

地元の友達に話してみた。

そして、

その子も通っている

デイサービスに、

見学にいくことにした。

 

それから、

学生のときの友達にも話してみた。

そのあと、二従姉妹にも。

二従姉妹は、養護教諭の資格を持っている。

 

同じ境遇にある友達は、

共感してくれる。

 

なんだか、

ちょっと楽になった気がした。

 

 

今はいろんなデイサービスを利用しているが、お母さん同士の会みたいなものを、

開いていたりするとこが結構ある。

あるデイサービスの社長さんは、

『医者より、デイのスタッフより、お母さん同士。』

と、いっていた。

お母さん同士のコミュニティが、

多大な影響になる、らしい。

 

社交性のない私には、 

おっきな壁。

 

療育。

一人でやる!と、宣言したので、

マイペースでやっていける。

と思え、少し落ち着いてきた。

さて

次は何をしよう。

 

 

まず、

福祉課で、すすめられるのが、

療育。

 

療育。

なに...それ...

 

障害に関して無知は、もちろん、

福祉の世界も垣間見たことがない私。

 

『デイサービスや療育園を利用していきましょう。お好きな所を選んで連絡とってください』

 

お好きなところ...?

 

 

あるわけないやろ!どないして決めんねん!

と、思いながら、

 

『例えば、どこがいいとか人気あるとか、教えてもらえないんですか』

と、聞くも、

『それは、言えないんですぅ』

 

 

は?

なんやて?

 

ちょっとイラッとくる私。

 

『じゃあ、どうやって決めたらいいんですか』

 

『それは、お友達とかの情報だったりで、みなさん決めてはります。運動療育のとこは1年待ちくらいの待機があるみたいですよ。』

 

 

お友達...?

 

障害児をもつママ友など、

診断されたばかりのいま、

おるわけないやろ!

 

と、完全にきれてしまった、が、

冷静を装う。

 

福祉のあらまし。

とゆう冊子には、デイサービスの事業所が、

数ページにわたり、載ってある。

 

何を基準に、

選択したらいいんや。

途方に暮れました。

 

区役所の人て、

親切なんかなんなんか、ようわからん。

と思いながら帰宅し、

冊子を眺め、

とりあえず

家から通える範囲で選び連絡した。

 

まず連絡したのは、療育園と呼ばれる

保育園と同じような施設。

そして、見学。

 

初めての障害児施設。

カルチャーショックだったのは、

今もよく覚えている。

まず、

門扉。

子供が手の届かないとこにかぎがあった。

そして、至る所のドアにも、同じように

高い位置にかぎ。

建物は古く、園長室の壁は穴が開き

茶色のガムテープが大胆に貼られていた。

 

なんか...なんてゆうか...

失礼を承知で思う。

『ここ、むり。』

 

でも、

園長先生は、素晴らしかった。

この先生なら。

と思えるような人だった。

先生方も、かなり好印象だった。

にも関わらず、

通所を希望せず、週に1回の親子教室だけ

申し込んだ。

 

なぜか。

 

それは、

たぶん、

今思うと、

『まだ障害を受け止めてなかった』から。

かなとおもう。

 

できれば普通の幼稚園に。保育園に。

とゆう気持ちが

強くあったからだ。

 

でもそれも、

今だから思う。

『ただのエゴ』だった。気がする。

 

ここで、

通所していたら、

今より成長していたかもしれないなぁ。

て、

思う。

 

すべては、

私の決断で決まる。

自分が、決めたことで、ととくんの成長が

変わる。

本当に重い重い責任感。

でも、

障害にも、療育にも、無知で、

情報もない。

決断力に欠けるわたしには、

かなりのプレッシャー。

でも、

決めないと。進まないと。

 

ととくんの未来は、

私の判断力にかかっている。

 

優柔不断で、プレッシャーに弱い私が、

強いお母ちゃんになるはじまりでした。